母たちは自由だから長生きなのか!?長生きだから自由なのか…。

ぼくの母のテコちゃんは悪気はないけれど、自由(ワガママ)だと思います。妻のひだまりのギリ母も自由(ワガママ)なのだと思います。母たちは彼女たちなりに自分もガマンをしているようなことを言いますが、客観的にみるとあまりガマンをしているように思えないことが多いです。

 

母は買い物に行くのがキツくなったということで、生活クラブという生協に入って食材を買っています。基本的にたくさんモノを買うのが好きなので、ついつい多く買ってしまい、残念ながらあまって腐らせてしまったりすることもあります。そうならないようにいつも話しているのですが、それでも多く買ってしまい、ときどきあまらせてしまいます。腐らせるくらいならもらうから、その前に言ってね!とやさしく伝えているつもりではあります。すると、ときどき来いという連絡があり、いただきにまいるのですが『こんなまずい〇〇は食べたことないので、あんたにあげる!』などといって息子に食材をくれたりすることもあります。

 

悪気はないのはわかっているので「ぼくだから遠慮なく、思ったままをいっていると思うけど、もう少し違ういい方してくれた方がぼくも気持ち良くもらえるなぁ」と伝えると『あんただから安心してなんでもいっちゃうのよ!(いいじゃない!)』的な返事がかえってきます。

 

村上春樹さんの小説の『ぼく』じゃありませんが「やれやれ」とは思います。

 

ぼくのまわりの多くの母と娘は、仲が良い(遠慮がない)だけになのか!?、よくケンカをするようです。コトバは良くないけれど、ある意味、母親は悪気なく娘をイジメ、娘は反撃し、またイジメられ、また反逆し…のような無限にループを繰り返しているような話しもあちらこちらできく話しです。

 

とはいえ、彼女たちはなんだかんだと好きなことを言いながらも、まだそれなりに生活も豊かです。それをまだ持続可能にしているのは、多くの場合すでに他界した彼女たちの夫、つまりぼくらの父たちが頑張ってきたからなのだと思います。

 

なんだかんだありつつも、まだ平和でそれなりに豊かで幸せな人の多いと思われるこの国を、この国から世の中をさらにイイカンジにしていくのは、ぼくたちの役割なのだと思います。もっともっと踏ん張らなくっちゃね!

 

 

今日もここまで読んでくださってありがとうございました。

今日も生きてて良かったと思えるようなことを、ひとつでも増やせる自分たちでありますように(^∧^)