ときどき「ああ、自分はなんと浅はかで人として未熟なのだろう…」と思います。
いつも偉そうなブログを書いたり
お話しをさせていただいたりしている
うんちマンですが、
たまにではありますが、
つくづくそう思うことがあります。
それは、
やはり親しい肉親との間での出来事です。
ぼくの場合親しい肉親とは
すでに母だけですが、
…とここまで書いて、
ああ、本当にそうなんだなぁと
あらためて思いました。
妻のひだまりのことは大好きですが、
血はつながっていないので
肉親ではありません。
肉親とは、
『親子・兄弟など、非常に近い血縁関係にある人。』デジタル大辞泉(小学館)だということです。
残念ながらぼくら夫婦は
子宝に恵まれなかったので
母以外では、
養子として迎入れた
亡き姉の息子
つまり甥であった息子が
肉親といえるのでしょう。
実は昨晩母とささいなことから
口論になったのですが、
ぼくは母親似だと子どもの頃から
家族からも親戚からも
言われてきました。
見た目もそれなりに、
性格はかなり似ていると思います。
母照子は、
楽天的で明るい性格です。
親切です。
その場その場で思ったこと
感じたことを
そのまんま口に出します。
そこにまったく嘘はなく
率直で素直であり
良いところでもあります。
ただし、思慮深くなく、
残念ながら浅はかなのです。
ぼくはそういうところ含めて、
母親似なのです。
それでも思慮深かった
父の性格も受け継いでいるので
常日頃はもう少し配慮している
つもりですが、
(あくまでも自己評価です)
浅はかな人どうしの親子が
いったん臨戦態勢に入ると
思慮遠慮のない
浅はかな口論となります。
肉親とは、
お互いに人としての修行を
日々実践するために
親子、兄弟として生まれて
きているのだそうです。
愛すべき母テコちゃんを
もっといたわり
よりいっそうの愛情を持って
接すること。
『人は変えられないが自分は変えられる』
ということを
あらためて深く認識し、
これからの日常を過ごしてまいりたいと
心に誓う今朝であります!
今日もここまで読んでくださって
本当にありがとうございました。
毎日がかけがえのない瞬間の連続であることをしっかりと心に留め置いて、大切に生きてまいりたいと思いました。