誉めることは叱ることと同じ。
だって、褒められたらまたそれやんなきゃイケない、出来なきゃイケないというメッセージでもあるから。
無駄とか用がないときの声がけの大切さ。
とにかくそのままでいいことを認められる空気、雰囲気。
褒めるんじゃなくて、いま出来ていることをドンドン言う!
バカにしたように思われるかもしれませんが、実はホントそれが(心を)アップさせる!
『おお!字書いたな! 漢字書いたな! 名前書いたな!』
『おおお!消しゴムでスゲー消したな!』
ぼく自身が小さい頃なかなかいない問題児だった。
例えば、ドブの中を裸足で走り回るのが大好きだった。
立ちションとか大好きで、家に帰るまで何回に分けて立ちションできるのかとかやっていた!
ダメっていわれたら、サービス精神旺盛な子どもだったので、びっくりさせてやろうと思ってやっちゃうんです。
学校だと先生にこっぴどく怒られるんだけれど、
母は一緒に謝りに行ってくれるけれど、全然怒られなかった。
キラキラしている!躍動している!ってどういうことか!?
自分のやり方でやっている。自分の考え方でやっている。間違っているかどうかなんてどうでもいい!
もっといえば、間違った方がオモシロい!間違いに行くみたいな!
それが安心してできるというのが授業の場ですね!
ふざけ、脱線が大切!
問題をどう解くかではなく、問題の途中で気になったことをやっちゃって凄いことが発見するということがたくさんある!
問題が解けるというのはどういうことか?
問題を解いて正解することは再現力!
まあ良くて活用力!
手持ちを増やしていろんな場面で対応できるようにする!
大人が子どもを評価するということは、
子どもは大人に評価されたいから出来たいと思う!
実は手持ちが少ない方がむしろオモシロい!
前提にあるのは評価されないこと!
ダメな子なんていない!その子が受け入れられているかどうかだけ!
小さな意欲
自分が子どもたちのありのままを認められるようになりたいという小さな意欲を持ち続けて欲しい!
ダメじゃないはずの子がダメに見えて怒っちゃう!
怒ったときに自分のなにがそう思わせているのだろうか?
ありのままを認められれば、子どもたちは自ら最高に輝く!
学校のいうことをきかない子は自分で判断してやることができる!
今の子どもたちを見ていて可哀想だなと思うのは、自分で考えて決めるという体験の量がことが圧倒的に少ない!
昔に比べると子どもも少なくなって、大人の目がものすごく自分に向けられているから、勝手にやる場がない!
その子のありのままを認める
「この子の良いところを引きだそう!」ではなく、
ありのままをそのまま受け入れる
「良いところ」というのはもうこっちの価値観をとおして見ている!
そうするとその子の本当の姿は見えない!
そこのやったことをそのまま「いいね!」と面白がれるようになろうということ
教育の目的を子どもに置くのではなく、教育の目的は大人のダメって思った心を変えようということ。
その子がそこにいるのに、その子がダメなはずがない。
安心できる自分のままでいて良い場があるということが大切。
受け入れるとなにが起こるか?やっかいな子を中心に愛が広がる!
ぼくもみんな一緒にやっている人も、そんななに見てもそんな「いいね!」なんてとは思えないんですよ!
イラッとしちゃうし、怒りたくもなる!
だけど、みんなでやっていれば、怒りたくなるのは、怒っているのは変な価値観を持っているからだと
一緒に見つめ直そうということなんですね!
完璧な人なんていないんですよ!
ぼくの本とか読むと、井本って聖人じゃないか!?と思っていたかもしれませんが、
ぼくってダメダメなんですよ!
ダメダメで抜けまくりなんです!
こんなことを自然体で謙虚に優しい眼差しで語れる井本さんは、どう転んでも、とても魅力的で人間味のある人なんだと感じられた。
そう、本当に素直にすーっとそう感じられた!
いろんな個性があっていいんだとは思うけれど、
『教育の目的を子どもに置くのではなく、教育の目的は大人のダメと思った心を変えること』
これはあらゆることに通ずる考え方だと思った。
今日もここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。
井本陽久さん
栄光学園数学科講師