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父への手紙。

父が亡くなってもう10年以上になりますが、父には最後まで面と向かって感謝の気持ちを伝えられなかったことが心残りです。

 

高齢になった父に、たまに会うと、なんだか変に上から目線になってしまっていたように思います。

 

父は猛烈なトラキチ(阪神タイガースファン)で、

 

それが原因で命を落としそうになったことがあるくらいなので、(そのときのエピソードはコチラのブログ

 

阪神ファンもいい加減にしてもっと健康的とか文化的な趣味をもった方がいいんじゃないの!?とか、

 

もっと体に気をつけなくちゃだめでしょ!とか、

 

健康のためにはこうした方がいいに決まっているとか、

 

そんな余計なお世話というか、結果的にお説教じみた発言ばかりになってしまい、父からうるさがられていたと思います。

 

 

 

そんな父は、ぼくが子どもの頃は、外資系の石油会社に勤めていて、仕事とゴルフと阪神タイガースに明けくれ、そのくせに偏頭痛持ちで、さらに腰痛(椎間板ヘルニア)にも悩まされていて、

 

腰の手術をなんどもしていましたが、それでもなかなかやめなかったゴルフに行った翌日は、腰痛と頭痛が重なって寝込んだりしていました。

 

 

子どもの頃のぼくはそんなことはお構いなしに家中を元気に走り回ったりして、よく父に怒鳴られていたものです。

 

そんな父(体育会系)とぼく(文化系)は、趣味もまったく違うし、会話もかみ合いませんでしたが、

 

父は、ぼくの趣味趣向や進路に対して、口を出したことはほとんどなかったと思います。

 

 

 

高校は推薦入学で大学もついている私立高校に入ったのに、

 

途中からこんな大学には興味がないから美大に行きたいと言い出し、

 

一浪して美大の絵画科に行かせてもらい、

 

母によると父は、ぼくに興味がなかったのか、信用してくれていたのかは定かではありませんが、ぼくが大学に入って少したった頃まで、ぼくがなんという大学に入ったかさえも知らなかったようです。

 

さらに、なんの役に立ちそうもない大学院にまで行かせてもらいました。

 

その上、大学院修了時には就活もせず、フリーランスとかいって家で絵を描いたりしていても、

 

おまえはこの先いったいどうするんだ!?などのことを、ほとんどきいた覚えがなかったような気がします。

 

むしろ、父がいったことばでいまでも覚えているのは、

 

おまえなにをやってもいいけれど金のためになんて絵を描くんもんじゃないぞ!ということばです。

 

 

 

人は過去の自分のエピソードを美化してしまう生き物らしいですが、とはいえ、この言葉がいまでも記憶に残っていて、

 

なにもいわずに、黙って学費をだしてくれていた父に、

 

おやじ、こんなおれを信じてくれて本当にありがとう!

 

と感謝の気持ちを伝えたかったなぁと思います。

 

 

 

今日もここまで読んでくださって本当にありがとうございました。

 

ぼくたち生きとし生けるものにとって、今日もなにがあっても健やかな一日でありますように。