夏も終わろうとする8月23日(金)の夕べに高校生起業家、高山翔君のお通夜に参列してまいりました。
翔君一家とも家族ぐるみでお付き合いをしていた高橋秀紀、明子家のクルマに同乗させてもらい、渋滞していたので、50分ほど遅れて会場に着いたのですが、
会場はぼくが勝手に思っていたよりもずっと広く、高校生や子どもたちから大人まで数百人の人々で溢れかえっており、翔君の影響力の大きさを改めて感じました。
彼が高校生起業家を志すまでは、バスケットボールに熱中していたということで、祭壇の中央にはバスケットゴールがあり、左右には彼が愛用していたのであろうユニフォームが飾ってありました。
翔君は、自転車旅行中の8月19日(月)午後に、水戸市の信号のない交差点で、ワンボックスカーに跳ねられて20メートルも飛ばされてブロック塀に頭をぶつけ、病院に搬送されたけれど死亡したとのことで、ワンボックスカーの運転手は過失運転致死の疑いで逮捕され、容疑を認めているとのことです。
なんとも実にあっけない最期です…。
本当に人間の一生なんて一寸先はどうなるかなんて誰にもわからないと思いました。
ご両親の高山雅樹さんと亜希子さんからのご依頼があったので、ぼくは日頃のうんちマンスタイルのまま参列させていただいたのですが、さすがのぼくも、うんちマンとして葬儀に参列させていただくのは初体験で、ちょっと緊張しました。
当然ながら、喪服だらけの式場で多くの参列者の方々からは奇異の目で見られましたが、まあそこは慣れているので良いのですが、
とてもありがたいと思ったのは、翔君のお婆さまやおばさまが、ぼくのことを翔君のご両親から説明を受けていたらしく、
まずはお婆さまらしき方がぼくに深々と頭を下げられて、
『翔が大変にお世話になったそうで、本当にありがとうございました。翔が父親とあなたと一緒に写っている写真を拝見しました』
とおっしゃるので、
ぼくは「ああ、どういたしまして、翔君のおばあさまですか?」ときくと、
近くに居た女性が『はい、そうです。ちょっと耳が遠いものですからとおっしゃっり、翔のおばですが、翔が本当にお世話になったそうでありがとうございました』
とやはり頭を深々と下げられました。
翔君は本当に、暖かく優しいご家族や親戚の方々に見守られて育てられたのだなぁと思いました。
お通夜の最後には、ご両親の亜希子さんと雅樹さんがお話しをされました。
ぼくらも含めて、あまりに多くの参列者は会場から溢れてロビーなどにもたくさん居たのですが、ご両親のお二人が、来てくださった全員の方に話しをきいて欲しいとのことで、式場は祭壇の近くから通路まで満杯になりました。
お母様の亜希子さんが、いまもまだ気配を感じるという翔から母ちゃんから話してくれといわれたとのことで、泣き崩れてなにも話せなくなるかもしれないけれど話しをきいてくださいと、とはいえ気丈にとても仲が良かった三人家族の思い出を話されました。
続いて、お父様の雅樹さんが、とてもスケールの大きいことを考えていた翔の意志を継いでいきたいとおっしゃられたことが印象に残っています。
最後に翔君が大好きだったという、ゆずの「翔」という歌を参列者全員で合唱してお通夜はいったん終わりました。
その後は、同じ会場で通夜振る舞いがあるということでしたが、ぼくらはそこで失礼をして帰路につくことにしました。
帰路の途中で高橋家のわんぱく坊主達とファミレスで食事をして帰ったのですが、彼らがいつもと変わらずに、凄まじくやんちゃに騒いでいたことが、日常を感じさせてくれて、むしろホッとしました。
今日もここまで読んでくださって本当にありがとうございました。
ときがすべてを解決してくれるわけではないことは知っているけれど、ときが悲しみを徐々に癒やしてくれることを心から願っています。
翔君、たくさんの思い出と勇気を本当にどうもありがとう!