人が感じる感覚とは実に不思議だと思います。
どういうことに不思議を感じるのかというと、
なにかについて、カッコイイ、ヤバイ、素敵、ヤラレたー的に感じることって人によって全然違うじゃないですか?
先日、夏コミ(コミケ、またはコミックマーケット)が東京ビッグサイトであり、ニュースにもなってましたが、なんと今年の来場者は4日間で史上最多の73万人とのことでした(゚∀゚*)ノ
ぼくも以前は仕事でなんどか行ったことがありましたが、実際に現場にいってみるとものすごい熱気です!
ゲーム会社を長年やってきたので、ぼくの身近にもコミケが生きがいだという人がこれまでもたくさんいましたし、いまや親戚にも数人コミケに出展するほど熱心な人もいるくらいです!
つまり、ある特定のキャラクターやストーリーなどに熱狂する人達なのですね!
ぼくもそういう静かに熱狂する人達の気持ちは十分にわかっているつもりです。
ただ、それは当事者的な没入する感覚ではなく、もちろん共感はするのですが、あくまで、協力者であり、観察者的な視点なのです。
これは、まったく他のことにも当てはまることで、
洋服、デザイン、趣味趣向、遊び、学問、職業、仕事、作業、思想、人etc.の好き嫌いというのは、
まさに千差万別なんですよね!
例えば、ぼくうんちマン自身もかなり変わっているという自覚はもちろんあります。
特別な場所やイベントなどでするコスプレではなく、
毎日うんちマンとして生きいているってなに!?
まさにこれってヘンタイというか頭オカシイですよねヽ(´ー`)ノ
とはいえ、ぼくは子どもの頃からうんち好きではありますが、
ごく一般の方に比べるとうんちやうんち近辺のことについては詳しいとは思いますが、
スカトロ趣味とか、
もの凄く腸活に詳しかったりするというわけではなく、
なんでこの真夏の猛暑日の40度にもなろうかという炎天下であろうとも、うんちマンなんてことをやっているのかというと、
ぼくがうんちマンで生きていることによって、
ごくごく自然にオープンマインドでハッピーな感覚をもった人に喜んでもらえるし、そういう人達とたくさん出会えるからなんですよねヽ(´ー`)ノ
そういう意味では、ぼくはハッピーマニアなのだと思います。
とはいえ、最近の日本のとくに都会に生きている多くの人達にとって、
人と同じか少し上であることがよしとされているようで、
大過なく無難に、
生活に一生困らないような会社や組織で仕事をして、
一生を過ごすことが良しとされているらしいのです。
なので、人よりも目立ってはいけないとか、
ほんの少しでも人に不快感を与えるようなことをしてはいけないと考える人が多いらしいのです。
こういうことを閉塞感がある社会というらしいです。
閉塞感の対義語は開放感です。
心と体の両方を開放することが大切でしょう。
閉塞からの開放は、心と体の解放から育まれるのです。
閉塞は否定の積み重ね!?
開放は肯定の連鎖反応!?
ぼくはうんちマンとして多少なりとも、ぼくと出会う人を閉塞感から解放することの助けになれればと思って生きているんだと思います。
今日もここまで読んでくださって本当にありがとうございました。
ぼくたち生きとし生けるものにとって、ありのままの心と体でいられますように(^∧^)