フト思ったのですが、〇〇ファーストといっている人達は、本当に〇〇を第一に考えているのでしょうか?
日本で最初に話題になったのは小池百合子東京都知事の『都民ファースト』だったと思います!
当時は『都民ファースト』旋風が吹き荒れて、『都民ファーストの会』ができて都議選の際には圧勝したことが記憶に新しいと思います。
その後、小池さんは衆院選で「(〇〇を)排除いたします」という発言で評判は地に落ちた印象がありました。
そういう意味でも「コトバ」というのは本当に恐ろしいと思います。
「コトバ」は発した人の“意図”とは別に一人歩きをしてしまうものだと思います。
「コトバ」は発した人の“意図”ではなく、その奥底にある“思惑”というか“本音”を繁栄してしまうのかなぁとも思います。
とくに、〇〇ファーストのように、
もうすでに手垢の付いた使い古されたようなコトバ(少し前の流行語)だと余計に、
〇〇ファーストと言っておけば、そう思われるだろう的な“思惑”や“本音”が見え隠れしてしまうのだと思います。
仮に本当に〇〇ファーストで〇〇を第一優先で考え行動していたとしても、
手垢の付いた使い古されたコトバなので、二番煎じ、三番煎じと思われ、逆効果の方が高いので控えておいた方が賢明なのではないかと思っています。
また、そもそも『都民ファースト』はどこから来ているのかというと、「レディファースト」から来ているのだと思いますが、
実は「レディファースト」も、現代で認識されている敬愛する女性を優先しようという意味だけでなく、リスクをチェックスするために女性を先に行かせるという意味合いもあったようです。
今日もここまで読んでくださって本当にありがとうございました。
ぼくたち生きとし生けるものにとって、今日も肯定的でイイカンジのコトバを使っていたいですね(*゚▽゚*)
P.S.
…というぼくも、人様のことをどうこう言えるわけもなく、一時は妻のひだまりに「ひだまりファースト」などと言っていましたが、本当にひだまりのことを第一に考えて行動したりしていたのか!?
怪しいものじゃないかと思っています(^0^;)