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ダメダメ社長だったぼくがマシになれたのかは定かではない

なんども書いているつもりだが、ぼくは長年社長をやってきてその大半がダメダメ社長だったと思っている。

 

まあ今でもダメダメのダメがひとつ取れたくらいかも(^^ゞ

 

というか、おかげさまで無事に社長を卒業した(^▽^)/~

 

今月社長を交代した!弊社、株式会社ダイスクリエイティブの公式WEBでは、まだ対応できていないが、事実上そうなったとハズだ。登記が変更できたかどうかはまだ確認していないが、直に変更すると思う。

 

後任は、子会社の合同会社digのCEOの砂川俊輔が担ってくれることになった!

 

もう本当にありがたいと思う。

 

10数年前に、当時共同代表だった相方の強い意向があり、新規事業を立ち上げて、ベンチャーキャピタルやエンジェルから投資を受けて、上場をめざすことになった!

 

当時、弊社は事実上ゲーム事業部とモバイル事業部に分けていた。

 

ゲーム事業部は、元々任天堂のゲームを故岩田聡氏(元任天堂社長)の意向で開発していた部門。

 

モバイル事業部は、ドコモのiモードをはじめガラケーのモバイルコンテンツを開発配信する部門。

 

ぼくは、まだiモードの黎明期だった2000年から社内の反対を押し切って新規事業としてモバイルコンテンツ開発をはじめ、その後爆発的な人気となったガラケーのモバイルゲームをいくつも展開していた。

 

おかげさまでぼくが担当していたモバイル事業部の業績はかなり良かった!

 

ぼく自身、モバイル事業をよりいっそう拡大したいという想いもあったので、成り行きといまとなれば生半可な気持ちで受け入れてしまったのがいけなかったのだが、投資家が望むような数字をめざさなければならなくなり、その事業計画を、どうしても自分ごととして感じられなかった記憶がある。

 

なんとなくイヤな予感はしていたのだが、結果としては、新規事業に肩入れをしすぎたことによってゲーム事業が不振に陥り、大きな意味ではぼくの監督不行き届きもあって、倒産寸前にまでなってしまった。

 

そこから、当時会社に残ってくれたメンバーの奮闘努力のおかげで、数年後には再建することができたのだが、それでもぼくはまだダメダメ社長だった。

 

艱難辛苦を共にして、一緒に働いて再建してくれていたメンバーのみなさんに対する感謝の気持ちも足りず、否定的な言動に終始していたと思う。

 

そんな否定的な心境に陥っていた経営会議のあとで、

 

フト思った。

 

オレ達はなんで何度も同じようなことを繰り返しているのだろうか!?

 

ていうかその元凶はオレじゃね!?と思うに至ったのだ!

 

長くなったので、このつづきはまたあした(v^ー゚)

 

 

 

今日もここまで読んでくださって本当にありがとうございました。

 

今日の東京は薄日が差してますね! ハバナイスデー(^▽^)/~