先日、フト思ったのですが、ぼくはある頃から「引き算の人生」というか生き方を楽しんでいるんだろうなと思います。
若い頃は自然と「足し算や掛け算」の人生になっていたというか、
やってやる!なってやる!と思っていたように思います!
こうなってやろう!ああなってやろう!
こうしてやろう!ああしてやろう!
こうして、ああして、いったん置いといて、ひっくり返して、小さくしたり、大きくしたりすればうまくいくんじゃないか!?などと企んだり、企てたり、目論んだり、なんだかんだと頭(たぶん左脳的)で考えて、
絵を描いたり、企画を立てたり、プロデュースをしたり、会社をつくったりしていましたが、基本的に下心に充ち満ちていたように思います。
人と意見が違えば、
自分に正義があると思い込み、
争ったり、競ったり、比べたりして、
一喜一憂していたように思います。
若い頃、絵を描いていて、試行錯誤して企み目論みまくって、運良く大きな賞をいただいたりしたこともありました!
まあ正直天狗になっていた面もあると思います。
そのときに付き合っていた彼女から、
『あなたのそういう絵はちっとも好きじゃない!あたしの好きなのはこっちの絵だわ!』
とぼくがなにげに描いて、誰からも評価されなかったような絵を指して、言われたことを今でも覚えています。
ぼくは当時、いま振り返ってみてもこれまでの人生の中でもっとも一般的にいうところの努力というか、頑張っていたように思います。
誰から頼まれたわけでもないのにです。
寝ても覚めても自分がどんな絵を書けばいいのか考えていて、考え過ぎていつも胃が痛かったのを覚えています。
自尊心が強く、自分には才能があると思い込み、でも自分の才能のなさを思い悩み、うろたえ、気分の浮き沈みが激しく、負けず嫌いで、小さいことにこだわって、神経質でものすごーく嫌なヤツだったと思います。
見えていた世界が小さく狭かったんだと思います。
最近、自分の年齢を358歳と公言するようになっていますが(^0^;)
それは年齢なんてどうでもイイじゃん的なことを象徴的に表現しているつもりなのですが、
まあ事実上、実際にかなりのオヤジでもありますし、
UNG(運爺)といつから名乗ろうかとも思うくらいです( ´艸`)
ぼくが思う引き算の人生とはなんでも受け入れ、引き受けるという生き方です。
自分の意志を強く持つというよりも(もちろんやってみたいことや実現したいことがないわけではありませんが)、
人から頼まれたことや勧められたことを出来るかぎり受け入れて、引き受けて、
いつも身ぎれいにして、笑顔を大切にして、あらゆることにありがたいと思い、
競ったり、比べたり、争ったりせずに、
愚痴や文句、泣き言や不満など言わずに、
人を信じて、慈愛の気持ちで見守り、
身近な人たちや仲間を大切にすること。
こう成れているいるわけではまったくありませんが、こういう感じでありたいと思って生きています。
こんな生き方を引き算の人生というか生き方だと思っています。
これを若い頃からやっていたらどうなっていただろう…と思うことがあります。
若い頃からやっていたら、何者かになっていたかもしれませんし、なににもならずニコニコと幸せに生きているだけだったかもしません。
どちらでも良いのですが、そういう人がこの世の中に増えてくれると、この世はもっとイイカンジになるんじゃないかと思っています。
今日もここまで読んでくださって本当にありがとうございました。
ぼくたち生きとし生けるものにとって、今日もなにがあっても心穏やかでいられる一日でありますように(^∧^)