あなたのためを思って良かれと思って言っているのに、なんでわかってくれないのかなぁ…。
相手に思い入れが強ければ強いほど、こういうことってありませんか?
家族(夫婦、子ども、親、姉妹兄弟)、部下、彼氏彼女、親友etc.という近しい人に対して思いがちな感情ですよね!?
こういうことを言っている自分を少し冷静になって客観的に見直してみてください。
そうするとその考えは、
おおむね自分の過去の経験に照らし合わせて考えていて、
相手というよりも、むしろ、
自分にとって都合が良かったり、
自分の思いどおりだったり、
に人を変えようとしていることが多いと思います。
相手のため、相手のためと言いながら思いながらも、
実は自分が困らないように、自分の恐れから“思い”が発生していることが多いと思います。
また、それらの“思い”は、ぼくたちの記憶は、子どもの頃から社会生活をしている中で自然とまわりの大人や学校、マスコミ、本やネットなどの情報によって、社会通念や常識的といわれていることに、支配されていると思います。
典型的でわかりやすいのが、
高学歴、一流企業、高収入、有名になること、社会に影響力を持つことや、
地位、名誉、財産、学力(知識、語学力)etc.
ぼくも含めて多くの人はこういうことになんらかのコンプレックスを持っています。
さらに、ぼくも含めて、逆に自分や大切な人が、犯罪、災害、事件、事故などの当事者になったり巻き込まれたりしないようにすることは当たり前のことだと思っています。
ぼくはおかげさまで、しかも本当にありがたいとことに、とても幸せに生かしてもらっています。
ぼくにとって、いま現在つい「あなたのためを思って…」という“思い”が発生してしまう相手は母です。
母はぼくが良しとしている“思い”(望ましいと思っていること)をくつがえすようなことをときどきしてくれます。
母の名誉のために具体的には書きませんが、そういうことが原因で思わず口論になることがあります。
それらの行動はひとつひとつは些細なことだったりするのですが、中にはそれが元でぼくや同じ集合住宅に住む人達にまで悪影響が及ぶ事故につながるようなこともあります。
それらについて助言や注意をしたり、実際に改善に取り組んだりすることもありますし、次からは同じことを繰り返さないように約束をすることもあります。
おおむねそれらの約束は反故にされることが多く、ぼくは徒労感に見舞われることが少なくありません。
とはいえ、ぼくが良かれと思って行っているそもそもそれらの助言や注意、さらに約束は、本当に母の幸せを考えてやっているのか?
母を自分の思いどおりにしようとしていたり、自分の恐れから約束をさせたりしているのではないだろうか?
と思うのです。
ということで、いままで受け入れがたいと思っていた、母のことをすべて受け入れることにしました。
・母をそのまま、まるごと受け入れます。
・母の弱い部分や悪い部分、失敗などもいったんすべて受け入れてから、少しずつ我慢することなどを助言します。
・どんな母でも素晴らしいし、大切だし、大好きだと無条件に受け入れ、伝え続けます。
・母のことを世間の常識、慣習、既成概念などにに照らし合わせて考えません。
それはすなわちぼく自身がいまの幸せに感謝しつつも、この幸せに執着をせず、なにがあっても大丈夫。波瀾万丈どんとこい!と思って生き続ける力になると思うからなのです。
今日もここまで読んでくださって本当にありがとうございました。
ぼくたち生きとし生けるものにとって、今日も「いまの幸せに感謝しつつも、この幸せに執着をせず、なにがあっても大丈夫。波瀾万丈どんとこい!」という思いで生きられますように(^∧^)