昨日は家族ぐるみでお付き合いをさせていただいている高山家の亜希子ママからのお誘いで、あまりよくわからずも『てんつくマンとりーちゃんのコラボトーク&書き下ろしパフォーマンス』というイベントに参加させていただきました!
『にんげんだもの』で有名な相田みつおさんが源流なのかもしれない、こういう筆書き下ろし系!?と十把一絡げに表現してしまっては失礼かもしれませんが、なんだかストレート過ぎるというか、熱すぎる的なちょっと気恥ずかしい、ある種の型にはまった表現のように見えていた印象もあり、越えにくい一線みたいなものを勝手に感じでいたところがありました。
昨日誘っていただき、失礼ながら少し遅れて参加させていただき、
現在フィジーにお住まいだというてんつくマンさんの、このようなお話しが自分もわかっていながら、さら実践している面もありつつも、印象に残り、とても共感できました。
フィジー人は貧乏な人が多いけれど、9割が幸せ(世界幸福度調査20181位、直近4年で3度目の1位らしい)だと感じで生きているけれど、日本人は彼らからするととても豊かなのに、幸せを感じていない人が多い。(日本は18位※昨年は25位)
常識にとらわれすぎているとかあるけれど、
日本人は自分と人との間を分けすぎなんだ!
例えばフィジー人は、
買い物しててちょっとお金が足りなくなると、すぐに後ろの人がいくら足りないの!?と言って、お金をくれたりする。
酔っ払いのおじさんが、おまえ気に入ったからオレの家に泊まりに来いというので、連れられて一緒に家に行くと、すぐ寝ちゃったりする。
知らない人の家に連れてこられてイキナリ寝られると呆然とするけれど、
つまりフィジー人は自分と人との間があまりないんだと、自分も人も自分みたいなものなんだというのです。
ぼくの家もよく人が遊びに来たりする家です。
階下に住んでいる母のテコちゃんは『あんたの家はしょっちゅうお客さんが来ているのね!?』と言います。
それも勝手にピンポーンとアポなしでくる遊びに来る子ども(それは怜旺君です!)もいます。
こないだも「せたコン」で仲良くなったすぐ近所に住んでいる成見さんちの空くんを、ぼくが居るときはいつでも預かるよ!と言ったら『空もうんちマン好きなので喜びますよ!』言ってくれたので、いつ来てくれるか楽しみにしています(*゚▽゚*)
街を歩いていればよく知らない人から声をかけられて一緒に写真を撮ったり、その場で連絡先の交換をして、その後仲良くお付き合いすることも珍しくありません!
やっぱり自分がいま実践していることはもっとドンドンやっていっても良いんだなヽ(´ー`)ノ
この調子でやっていこう!
と思えて良かったです(v^ー゚)
さらに、
なんでもありなんだ
ブロックはずし
自己解放
などの言葉も、ぼくが日頃から言っていることとなんら変わりはないと思いました。
趣味趣向の違いはあれど、表現の違いはあれど、本質はかわらないんだなって思いました!
誘ってくださった高山亜希子ママどうもありがとうございました(^-^)/
今日もここまで読んでくださって本当にありがとうございました。
ぼくたち生きとし生けるものにとって今日もイイカンジの一日でありますように(*゚▽゚*)
P.S.
てんつくマンさんの教え子であり、亜希子ママが懇意にしているというりーちゃんも不遇な人生から今をイキイキと生きる人に変わったとのことで、人は気づきがあり、アクションが生まれ、さらに信じて慈愛の気持ちで見守ってくれる人が傍らにいれば、いつでも幸せになれるのだと思いました。