今日は父の命日なので、母のテコちゃんと妻のひだまりと一緒にお墓参りに行きます!
思い起こせば、父はぼくにとって本当に素晴らしい父親だったと思います。
父は高度成長期の只中で、当時としては世界的にもっとも影響力があったであろう石油メジャーの1社のモービル石油、いまのエクソンモービルの社員でした。
いまでいえばGAFAの社員みたいなものですねヽ(´ー`)ノ
つまり、超イケテル外資系企業の社員だったわけです(゚∀゚*)ノ
とはいえ、父はぼくが幼い頃によく、
オレは本当は、弁護士になって“弱きを助け強きをくじく”仕事をしたかったんだ!
オレは本当は、青年海外協力隊のメンバーになって開発途上国で貧しい人達の助けになりたかったんだ!
このような話をしていたことを今でもよーく覚えています。
父は、日々自分としては不本意な!?石油会社で営業の仕事していました!
子どもだったぼくの目からは、父は朝早くにでかけて毎晩帰りは遅く、大のタイガースファンで、ゴルフばかりしている印象が強かったです!
また父は運動神経が良く、相撲、柔道、野球etc.のスポーツ万能であることが自慢でした。
ところが、反面偏頭痛持ちで、ゴルフの影響で腰痛もひどく、しょっちょう体調をくずして寝込んでいた覚えもあります。
休日や家にいるときは、
体調をくずして寝ているか、
ゴルフの練習にいっているか、
タイガースが負けてものすごく機嫌が悪いか、
といういずれかのパターンだったと思います。
ぼくはというと、小学校低学年の頃は内弁慶でやんちゃですばしっこく、体操やかけっこ、木登りなんかは得意だったのですが、球技は苦手で父がキャッチボールをしようと誘ってきてもあまりやりたくありませんでした。
つまり、子どものぼくからすると、
父は、本当は弁護士とか青年海外協力隊みたいなやりたいことがちゃんとあるのにやらないで、いつも怒っていたり、機嫌が悪かったりして、ぼくが苦手な野球をやりたがるイヤな感じの人でした。
だからかどうかはよく覚えていませんが、
ぼくは小学校高学年の頃に「ぼくはパパみたいなサラリーマンには絶対ならないからね!」と父に言い放ったのをいまでも覚えています。
そんなぼくに父は、ぼくの進路について1回もああしろこうしろなどと言ったことはなかったと思います。
母のススメでなにげに入った私立高がたまたま大学と併設で、同じ敷地内にいる大学生をよく見ていたのですが、こんな取り柄のなさそうでくだらなそうな大学の学生になどなりたくないと思い、ほんの少しだけ絵を描くのが得意だったので美大に行きたがり、一浪してまで多摩美に入ったのですが、入学当初、父はぼくが入った大学の名前を知らなかったそうです。
ある意味子どもに興味がないともいえますが、
反面ぼくのことを信じていてくれて、見返りを求められたことも一切なかったと思います。
その後、ぼくは無駄に大学院にまで進学するのですが、なにも言わずにお金だけはちゃんと出してくれていたわけです。
ぼくは、ついに父の晩年まで心を通わせて、きちんと感謝の気持ちを伝えることができなかったという思いがあり、いまでもそれが心残りでもあるのですが、だからこそお墓参りにはできるだけ毎月いくようにしています。
今日もここまで読んでくださって本当にありがとうございました。
ぼくたち生きとし生けるものにとって、あらためての感謝の気持ちを思い起こす一日でありますように(*゚▽゚*)