姉が亡くなって、もう7年目なのかと…、そう考えると時の流れるのは速いものだと思います。
日頃はあまり時の流れが速いとは感じないのですが、姉が亡くなってもう七年目なのかと思うと、姉とのことを思い出してしまいます。
今となっては姉はぼくの人生において、自らを見つめ直し、変える大切なきっかけをつくってくれた大恩人だと思います。
姉がいなかったらいまのぼくはこうして幸せに暮らしていたとは思えません。
姉との思い出はある意味壮絶な経験だったので過去のブログに詳しく書いてありますので、気が向いたら読んでみてください。
姉が生きている頃は姉とは決して仲が良い姉弟とはいえませんでした。
ぼくからは姉はいつも情緒不安定に見え、感じられました。
姉からうとまれていたこともあり、一時は年に1~2回しか会わない状態が続いたこともありました。
ぼくも大人になってからは、正直姉とはあまり付き合いたくないと思っていたし、どんどん疎遠になっていきました。
とはいえ、姉はとても優秀な人で、環境系の財団で国際会議を仕切るような人でした!
仕事に熱心で完璧主義なあまり、私生活は仕事は真逆の状態になってしまう人でした。
恐らく仕事にほとんどのエネルギーを注ぎ込んでしまっていたのでしょう!
姉は離婚して幼い息子を連れて実家に帰ってきたのですが、
仕事に対する完璧主義の真逆の私生活に対して、家族である父母、息子からの評価はかなり低く、そのことが終始姉を傷つけていたとは思いますが、
家族としてもやむを得なかったと思います。
ぼくも実家で一緒に生活していた頃はいたたまれない気持ちに何度もなったことを記憶しています。
父が亡くなって、精神的な重しが外れたのでしょう。
実家の人間関係はますます厳しくも激しくなり、日々戦場のようになっていきました。
それまで、ある意味対岸の火事だったぼく自身も、
度々母や甥からSOSが発信されるようになり、実家の家族関係を自分ごととして解決しないと、自分にも火の粉が飛んできて、大変なことになると思い、行動に移さざるを得なくなりました。
結果的に姉は亡くなってしまうのですが、
この一連の経験の中で学んだのが、
「他人は変えられないが、自分は変えられる」ということでした。
このことでぼく自身の人生は大きく変わりました。
そうですよね!?なんてったって“うんちマン”になっちゃったくらいですからね( ´艸`)
それは表面的な変化なのですが、内面が変わったので、表面的にも“うんちマン”になってしまったのだと思います。
さらに、自分自身がいまのままで良いとは思っていません。
死ぬまで、昨日より今日は、今日より明日は、いまの自分よりも少しマシな自分になっていたい!
変わり続けていきたいと、これでも思って生きています。
今日もここまで読んでくださって本当にありがとうございました。
おねえちゃん!来世ではもっと楽しく生きられるようになっていますように(^∧^)
P.S.
これからお墓参りにいってまいります。