学びや成長において、恐らくもっとも大切だと思われるのは、誰もがその人らしく安心していられる環境だと思います。
自分以外の人のことを否定したりするだけでなく、良かれと思って批判したり、改善点を指摘したりすることが決して悪いことだとか、否定したりはしないけれど、
ぼくは、できればこうでありたいと思っている。
誰もが、自分以外の人のその人らしさというかありのままを受け入れて、
その人の行動や存在が他の多くの人やもしくは特定の人にとって、
不都合だったり居心地が悪いのであれば、
さらには、その人自身にとっても改善した方が良いんじゃないかと感じたのであれば、
まわりの人たちは、できるだけその人がその人らしくいられる環境を大切にしつつ、個別の不都合だと思われることについて、フォローやサポートをして、
誰もがその人らしくいられる“場”をつくり合おうとすることが大切だと思っています。
ぼく自身が自分に対して、
「おまえそんなこと言っても全然できてねぇんじゃね!?ヽ(´ー`)ノ」
と思うところも十分にあります!
つまり、
思いっきり人のことを批判したり、改善してやろうとよけいなお世話でやっきになったり、それ以上に存在を(まあ酔っていたとしても)否定したりすることもあるぼくですが、
とはいえ、それでも、
誰もがその人らしくいられる“場”をつくり合おうとすることが、
もっともその人やその組織や集団を成長させることにつながると信じて毎日生きています(^-^)/
仮に、その人が他人のことを否定しまくったり、傷つけたり、そのままだと酷い目にあうだろうと思ったとしても、
本当はその人が心底でなにを感じてどうしたかったのかを理解しようと努力し、
その周辺に憎悪や嫉妬やトラウマが渦巻いていたりしても、
その本質を大切にできる人でありたいと思っています。これでも。こんなんでもねヽ(´ー`)ノ
今日もここまでなんだかわかりにくい文章を読んでくださって本当にありがとうございました。
ぼくたち生きとし生けるものにとって、今日も誰もがその人らしくいられる“場”がありますように。
P.S.
誰もがその人らしくいられる“場”が“修羅場”を乗り越える力をくれることもあるし、逆に“修羅場”が誰もがその人らしくいられる“場”に気づかせてくれるときもあると思う。いずれにしても誰もがその人らしくいられる“場”と“修羅場”が人を成長させるのだ。