ぼくたち生きとし生けるものにとって「修羅場」とは!?
意味的には“争いなどで悲惨を極めている場所”らしいです。
ぼくがここでいう「修羅場」とはむしろ「逆境」の方が近いかもしれませんが、こんな感じです!
①成功しなければ会社がツブれてしまうかも的なプロジェクトにおける失敗しそうな壮絶な現場。
②家族、友人、知り合いなどの人間関係で死の恐怖を感じられるほどの悲惨な状況。
③事件や事故、災害などで生死をかけた状況。
ぼくは①と②は経験しています。
ぼくが思うに①や②の“修羅場”は、逃げないでしっかりと自分ごととして前向きにとらえつつ、柔軟な発想や“修羅場”を引いて見られる視野の広さなどを意識しつつ、挑んでいけばいけば、ほとんどは解決できると思いますし、その後に得られる、学べるものもとても大きいように思います。
かといって、それは必ず誰にも当てはまるのかといえば、人にもよると思います。
ぼくはなぜだか若い頃から比較的修羅場が嫌いじゃなかったような気がします!
ところが、修羅場や環境の変化に対する耐性があまりない人もいるように思います。
以下は極めて個人的な見解なので、そう思って読んでくださいね!
そういう人は修羅場や環境の変化が激しすぎると精神疾患になってしまったりする場合があると思います。
では、どういう人が修羅場に弱いのかというと、
なにごとも決めつける人!
固定観念や既成概念にとらわれている人のような気がします!
自分が思い描いている理想の〇〇が明確にありすぎる!
〇〇はこうでなければならない!
○○はこうであるべき!
こういう人は修羅場に強そうで、案外弱いような気がします。
なので自分の思い通りにことが運ばないと、精神的に折れやすい傾向もあるかと思います。
いわゆる「レジリエンス」跳ね返り、弾力、回復力、復元力のようなものが弱いのかもしれません。
とはいえ「ベキ」や「ネバナラナイ」は、立志伝中の人物や偉人の方々などの「信念」とどこが違うのでしょうか!?
前向きさ、柔軟な発想、視野の広さなどがあれば「ベキ」や「ネバナラナイ」でも良いのでしょうか?
ものごとには必ず裏表があり、表裏一体として存在するのだと思います。
本当に学びは一生続くのだと思います!
自分に確信的な自信が持てない人(こういう人がほとんどだと思いますが)修羅場から逃げることも大切でしょう!
今日もここまで読んでくださって本当にありがとうございました。
ぼくたち生きとし生けるものにとって今日も修羅場から立ち直れますように!
P.S.
とはいえ、いつもビビリながらやせ我慢しつつ踏ん張るようにしています(^0^;)