ぼくは元々美大(多摩美)出身で、労働意欲がなかった、というよりも、才能ある自分は時間を切り売りして労働などしている場合じゃないだろうと本気で思っていたので(^_^;大学院に進みました。
大学院の時に運良くある程度の社会的な評価をいただけたのですが、客観的に観て自分の才能と努力と業界の慣習や、すでに業界内で生きている人達のあり方なども鑑みて、
アート業界に見切りをつけて、広告デザイン業界を経て、当時はまだ業界といえるようなものもなかったゲームの道に進んだのでありました。
当時、ぼくの人生で初めて出会い、ゲームの道を選ぶきっかけとなった、いわゆる“オタク”の頂点を極めていたような友人と話していたときに、
彼から、アートというのは漫画・アニメ・ゲームなどに比べると社会的な影響力も小さいし、とくに日本では経済規模も小さいという話しを何度もきかされた記憶があります。
確かにそのとおりだと思います。
漫画・アニメ・ゲーム、とくにストーリー性の高い、漫画やアニメを観て人生観が変わったという人は少なくないと思います。
それに比べてアートで人生観を変えられたという人は少ないような気がします。
前述したように、ぼくもアートの世界を自分なりに追求していた時期が5年間くらいあったので、少なからず実感できるのだと思います。
とはいえ、それでも現代アートは既成概念や固定観念を打破したり、それらの無意味さを気づかせてくれることに役に立っていると思います。
最近ではその最たるアーティストがバンクシーでしょう!
オークション会場で自作をシュレッダーで切り刻んだ作品が有名ですが、
自作をあえて道端の露天で数千円!?程度で販売して、それをバンクシー作品と知らないで買った人が、後にオークションにだしたら、数千万円になったという作品もあるようです。
つまり、そこ(現代社会システムやメディアでの扱われ方)まで含めての作品なのだと思います!
アート、とくに現代アートと呼ばれる領域のアートって、ある意味なんでもありだ思うけれど、常に業界の評価とか、アート業界の摩訶不思議なしくみのようなものもあるようです。
まあ、これはアート業界に限らず、すでに“業界”という名のつく既存の業界ではほとんどあるのだと思います。
全然脈絡がないかもしれませんが、かつてのソニーがアップルに負けたみたいなものだと思います。
ぼくはいま、そもそもどこかの業界に属しているわけでもなく、うんちマンという得体の知れない者として生きていますが、自分自身の存在意義や存在価値、レゾンデートルみたいなものを問い直しみることも必要かなと思ったりします。
今日もここまで読んでくださって本当にありがとうございました。
ハバナイスウィーク(^▽^)/~
P.S.
最近ときどき顎が痛くなって片側だけが腫れることがあるので、今日は口腔外科のお医者さんに行ってきます(^▽^)/~