『君たちはどう生きるか』原作:吉野源三郎、漫画:羽賀翔一というベストセラー本を遅ればせながら読んだ!
原作は1937年に出版された児童文学書で、それをヒットメーカーとして知られる佐渡島庸平さんの会社コルクが編集協力をして本に仕上げたようだ。
発売半年あまりで200万部以上売れたそうで『『君たちはどう生きるか』に異論あり!』という本まで出版されているくらいである。
この本の後半の大きなテーマとして友達を裏切る、裏切られた的なことが描かれている。
ぼくはこれまでの人生で、子どもの頃から人のことを裏切ったであろうことはたくさんあると思っているが、裏切られたことはあったかもしれないが、ほとんど覚えていない。
子どもの頃には、自分が母親から可愛がってもらいたいばかりに、よく姉をうらぎっていた覚えがある。
姉に対しては服従を誓いつつ、
母には「お姉ちゃんがぶった!」とか「お姉ちゃんが意地悪をした!」とよく言いつけていたような気がする。
おかげで姉はぼくのことをずうーっとうとましく思っていたのだと思う。
よく覚えていないが男子校の高校生の頃にも、友人達をうらぎったような記憶がうっすらとある。
男子校というのは女子がいない分だけ、男子はエエカッコをする必要がなく、人間関係というか人と人のパワーバランスがストレートで、動物の集団に近いと思っていた。
つまり、オスの集団のピラミッド型ヒエラルキーの中である程度優位に立っていたヤツがちょっと油断をしたことで、最下層まではいかなくとも転落することもあったように思う。
当時のクラスは、創立以来最悪のクラスと呼ばれていて、いわゆるツッパリ的なとはいえ中途半端に不良のヤツらがクラスの1/3くらいいて、
ぼくも不良ではあったが、長髪ロック好きの知的犯罪者系で徒党を組むのが苦手だったので、
ツッパリ系、インテリ系、優等生系、普通系のグループのどこにも属さずに、都合の良いように各グループのやつらと付き合っていて、
先生に見つからずにタバコを吸いにいく方法とか、カンニングの新たな手法とかetc.の悪知恵を考案してツッパリ系のグループに伝授したりして、自分のポジションを維持していたように思う。
会社をはじめてからも、ぼくは裏切ったつもりはないと思っているが、何人もの人(主に経営層)を、自分はその方が良かれと思ってクビにしたり、追いやったりもしたし、何人かの社員をうつ病に追い込んだりしたこともある。
ぼくは運良く人を裏切ったことを覚えていて、裏切られたことを覚えていないが、
人によっては裏切られたことを何年も何十年も覚え続けている人もいると思う。
そういう意味では、いまでもぼくに裏切られたと思っている人はそれなりにいると思う。
若気の至りだったり、恐れや執着心によって思慮分別や思いやりに欠けた行動をたくさんしてきたことは、大変申し訳なく思う。
そういうことを背負って生きていくのが人間なのだとも思う。
今日もここまで読んでくださって本当にありがとうございました。