人はどうしたって比べてしまう前提で考える!

モノやサービスの価値というのは、実は決まっていなくて、相対的にしか決まらないのだといいます。

 

〝トムは人間の行動の偉大なる法則を発見した。人に何かを欲しがらせるには、それが簡単には手にはいらないようにすればいい〟

※引用元:ダンアリエリー.予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」

 

マーク・トウェインがかつてトム・ソーヤーについて書いたことばなのだそうです。

 

そう!価値は需要と供給の需給関係でしか決まらない。

 

人間という生き物は相対的にしかものごとを判断できないことが多い。

 

だからこそ、最初に提示された価格に左右されがちというか、引っ張られることは科学的にも証明されています。

 

 

 

この相対的にしかものごとを判断できないことを、

 

人間の価値に置き換えてみると、

 

第一印象で、

 

見るからに立派でバリッとしたスーツを着ている人は、やはり見た目どおり中身も立派なのだろうと思われます。

 

見るからにみすぼらしくて貧相な身なりの人は、やはり見た目どおり中身もみすぼらしく貧相なのだろうと思われます。

 

もうこれは誰もが感じてしまう致し方のないことですね。

 

政治家や大企業の社長さんとか権力やお金をたくさん持っていたりする人たちは、おおむねバリッとした高そうなスーツを着て、胸を張っていることが多いですからね。

 

見るからに立派そうな人の発言や態度が、その印象と真逆に内容的につまらなかったり、尊敬できなかったりすると、むしろ評価は下がりますよね!?

 

逆に見るからにみすぼらしくて貧相な身なりの人が、実に含蓄のある素晴らしいことを話したりすると、高評価につながるのではないでしょうか?

 

そういう意味では普通に誰もが着ているようなスーツを着ているということは、比べられにくいということなのでしょうし、ぼくたちホワイトカラーとして仕事しているのですよね!?的なベーシックな安心感が得られるのだと思います!

 

出る杭は打たれるけれど、杭は出なければ打たれない!

 

これまでの世の中はそれを良しとしてきたというか、社会全体として都合が良かったのだと思いますが、

 

AIやロボット、ブロックチェーンなどの技術が進化し、人はなにをやれば良いのだ!?的な議論が高まってきていて、これからの世の中ではそれじゃあ通用しませんよ!的な風潮になってきています。

 

にもかかわらず、多くの人は差分の少ないというか、過去に安心安全だと言われている既定路線を進みたがります。

 

 

 

世の中自分が思っているとおりになるなんてことは少ないと思います。

 

一瞬先は闇だと思うのか?

 

一瞬先には光が満ちあふれていると思うのか?

 

ぼくは良いことも悪いこともたくさんの波瀾万丈だと思って生きています!

 

ぼく自身、自分がうんちマンとして生きることになるなんてこれっぽっちも思っていませんでしたからねヽ(´ー`)ノ

 

 

 

 

なんだか例によってまとまりのないブログになってしまいましたが、今日もここまで読んでくださって本当にありがとうございました。

 

ぼくたち人間にとって少なくとも比較を有効に使える一日でありますように(*゚▽゚*)