幸せと雑念のドーナッツはどちらも不味い?

昨日、せたコン学び2.0プロジェクトなどで仲良くしている友人とチャットで話をしていて、その友達からジュニコンについてのとても素敵な提案をもらいました!

 

このジュニコンのことは明日のブログで書こうかなヾ(´ー`)ノ

 

なので、学び2.0実現委員会のミーティングにも参加してくれると嬉しいな!って話したら、

 

『学び2.0のミーティングとか、とても興味があるんですが、今自分の地域活動の拠点でやりたいことが全然出来てない状態で、さらに学び2.0に関わると全部中途半端になってしまいそうなんです…。

 

幸せのドーナツ化現象になりそうで…。』

 

という返事がありました。

 

『幸せのドーナツ化現象』ってなんだろう!?と思ってリンク先を見てみたら、

 

greenz.jpの鈴木 菜央さんの記事がありました。

 

NPOグリーンズ代表理事 greenz.jp編集長 76年生まれ。月刊ソトコトを経て06年「ほしい未来は、つくろう」をテーマにしたWebマガジン「greenz.jp」創刊。千葉県いすみ市に家族4人で35㎡のタイニーハウス(車輪付き)に住む。著作に『「ほしい未来」は自分の手でつくる』。2014年から本格的にパーマカルチャーを学びはじめる。 

 

幸せのドーナツ化現象とは、

 

『ソーシャルデザイン領域で何かを成し遂げる人は、つい家族と自分をないがしろにして、社会課題の解決や目指す未来づくりへ邁進する人が多い印象です。僕はこれを「幸せのドーナツ化現象」と呼んでいます』

 

つまり、自分や家族のためにもこの社会をもっと良くしよう!社会貢献しようとするあまりに、自分を含めて身近な半径2メートルの人たちの幸せをないがしろにして、しわ寄せがいってしまい、

 

結果として自分や自分の家族や仲間達が不幸せになってしまうっていうことなんだと思います。

 

 

 

つまりドーナッツの食べられる輪っかの部分、つまり社会は幸せにできても、

 

自分や自分の身の回りはドーナッツの穴の部分になってしまい不幸せになっちゃう(T_T)

 

確かにこれってときどききくことのある話しです。

 

社会貢献して尊敬できると思われている人や団体、組織のメンバー、さらにはご家族は愚痴だらけ…、

 

みたいなことはさほど珍しくない話しだと思います(^0^;)

 

 

 

きっとこれはぼくが以前考案した雑念のドーナッツという概念とベースは同じなのだろうと思いました。

 

人はみな、

「過去の後悔」

「未来の不安」

「他人への不満」

「自己への嫌悪」

 

という雑念のドーナッツに四方を囲まれていて、美味しくもないのに雑念のドーナッツをジャンクフードのようにむさぼり続けていると、雑念に気付けず、ドーナッツの真ん中に“空”があることも忘れてしまうという概念です。

 

良かれと思い、ベキ、ネバナラナイと思って社会課題の解決などに専念していると、いつのまにか雑念のドーナッツをむさぼり続け、半径2メートルが不幸せになっていた自分に気づくという現象です。

 

 

 

鈴木菜央さんは、以下のように書かれています。

 

『このままいっても、幸せになれそうもない……行き詰まりを感じていた僕は、仕事を含めた生き方を全体的に考え直すことに決めました』

 

 

『本当の君は、どんなふうに暮らし、生きていきたいのか?まずはじめに取り組んだことは、自分の心に問いかけることでした。』

 

やはり、ここでも

 

自分を知る

 

自分の幸せを知る

 

自分が何者なのかを知る

 

ジブ知る

 

に行き着くのだと思いました。

 

 

 

今日も大切な時間を使ってここまで読んでくださって本当にありがとうございました。

 

ぼくたち生きとし生けるものにとって今日も多くの学びがありますように。