飲酒 or 瞑想!?

先日久々に心友と会って話した。

 

彼の子どもは学校に行っておらず、共通の女友達がやっている絵画教室に通っていて、徐々に精神的に落ち着いてきているようだとのことだった。

 

その絵画教室の女友達の先生はぼくのワークショップの常連で、まあ良い意味で子どもみたいな感性の持ち主で、ワークショップの最後にオイオイ泣きじゃくったりするのだ。

 

心友とぼくは数日前にとあるパーティですれ違って話せなかったので、翌日酒も飲まずに久々会って、他愛もない話しをしていたのであった。

 

 

…で、彼は酒を飲むよりも瞑想の方が断然気持ちいいからもう酒は飲まなくなったといっていた。

 

ぼくも最近お酒を飲まなくてもまったく生活に問題がないというか、むしろお酒を飲まない方が心身ともに調子が良いと思うので、ぼくはコーヒーを、彼はクリームソーダを飲んでいたのだが、

 

彼はお酒を飲む人たちは現実でおもしろくないことがあり、そのストレスから解放されたいから飲むんじゃないかといっていたが、はたしてどうなのだろうか!?

 

 

お酒を飲むのと瞑想をするのとどっちが良いの!?

 

 

そもそも人はなぜお酒を飲むのか!?

 

社会性動機  他の人と仲良くなりたい

 

対処性動機  おもしろくないことがあり気分を晴らしたい

 

気分高揚動機 気持ち良くなりたい

 

「おいしい」から飲む(感性的快希求性、知的快希求性)

 

また、全家庭の半分にアルコール中毒(依存)の家族がいるという説もあるようだ

 

※第47回 独立行政法人酒類総合研究所講演会報告参照

 

確かに『対処性動機 おもしろくないことがあり気分を晴らしたい』というのは動機のひとつになっているが、それ以外の動機が3つもある!

 

 

では、人はなぜ瞑想をするのか!?

 

それは生きるという苦しい仕事から解放されるためなのです。

※ブッダのヴィパッサナー瞑想 マインドフルネスの源流参照

 

これは数ある瞑想の中のひとつのヴィパッサナー瞑想のサイトに書いてあったひとつの説なのだが、

 

『おもしろくないことがあり気分を晴らしたい』と『生きるという苦しい仕事から解放されるため』というのは、結構似てんじゃね!?と思う。

 

 

なんでも極めないとその真髄はわからないという説あるが、飲酒も瞑想も依存関係になるほどまでにのめり込まなきゃ良いのかもしれない。

 

結局は趣味趣向ということなんだと思うが、お酒も瞑想もうまくつきあえば人生を豊かにするものであると思う。

 

 

 

今日もここまで読んでくださって本当にありがとうございました。

 

ぼくたち人間にとって依存が負担にならない毎日でありますように(*゚▽゚*)

 

P.S.

今日は最初は「友達のエコシステム!?」というタイトルで書き始めたのだが、またあらためて書こうと思う。

 

P.S.2

またぼく自身もうんちマンであることを誇りに思うことはあれ、依存しないで生きていきたいと思った。