学びの自由化とは!?

「学びの自由化」を実現するのが「学び2.0プロジェクト」です!

 

では「学びの自由化」とはいったいどういう状態なのでしょうか!?

 

昨日もメンバーが集まって議論を重ねました!

 

学びと教えの当事者が…、

 

選べる

好きな学びや教えを自由に選ぶことができる。

学び手は、学校、場所、学び方、先生などを自由に選べる。

教え手は、学校、場所、教え方、生徒などを自由に選べる。

 

 

創れる

好きな学びや教えがなければ自由につくって提供できる。

 

巡れる

好きな学びを自由に教えられる(学びの循環)

こどもがこどもに、こどもが大人に、こどもと大人が一緒に教え、学び合うこともできる。

教えることは最高の学びになる。

 

金銭、地域、年齢、ライセンス、慣習、文化、政治、宗教、立場etc.からもできるだけ自由になれる。

 

 

「巡れる」などまだうまくまとまっていない面もありますが、今後よりいっそう議論を深めていきたいと思っています!

 

これらの議論の中でジョージ家のナナミちゃんが将来「フリーランスの先生」になりたい!という話しがあり、それはとても「学びの自由化」らしい考え方だと盛り上がり、フリーランス先生が自由に働けるようにすることも「学びの自由化」で実現できたら素敵だ!ということになりました!

 

 

 

 

数年前に幼いこどもを病気で亡くしているジョージが、家庭内のエピソードを語ってくれたのが印象的でした。

 

家族でクルマで移動していたときに弟とすぐ上の姉がケンカになり、

 

弟が姉のことを『殺してやる!殺してやる!殺してやるんだー!』と連呼して、その後も殺してやる!といってきかないことがあったといいます。

 

実際に病気でこどもを亡くしていることもあり、以前ならそんな姉弟どうしで殺すとかあり得ないという思いで『そんなこと絶対にいうもんじゃない!』と一喝叱責して終了!だったと思うけれど、

 

いまはこどもとも素の自分として向き合いたいと思い家族会議をしたそうです。

 

弟が姉をそんなに殺したいんだったらしかたがない。けれど、もしも仮にそれが現実になったらパパもママもとてもとても悲しいけれど、君はどう思うのか!?ときいたのだそうです。

 

それをきいた彼はそれをきいてとても困ったようすだったらしいですが、結果的にはそれなら殺すのはやめるよとあきらめたようです。

 

ジョージ家はなんて素のままの家族なのだろう!スゴいなぁと思いました。

 

殺すなんてダメなものはダメ!と理由もなく一方的に否定するのではなく、

 

タブーとせずに、家族会議で話し合うという、こういう家庭の教育こそ大切なのだと思いました。

 

つまり学びにも教えにもできるかぎりタブーはない方が良いだろうと思ったわけです。

 

そんなジョージ家が、家族の総意でなぜかお盆にうんちマンの家に泊まりに来たい!ということはとても光栄なことだと思いました。結果的に数家族がこども含めて遊びに来ることになりそうななので、騒々しいけれど平和なお盆になりそうなわが家です。

 

 

 

今日もここまで読んでくださって本当にありがとうございました。

ぼくたち人間にとってタブーのない世の中でありますように(*゚▽゚*)