経営と教育の根幹は同じかも!?

「学び2.0」プロジェクトをはじめて、教育のことを学び考えるようになってからわかってきたことがあります。

 

経営と教育は似て非なるものと思っていたけれど、実は根っこは同じなのだろうということです。

 

書評|クソくだらなくて意味のない仕事が増えている|Bullshit Jobs by David Graeber

『様々な調査によると37%から40%の人が自分の仕事がなくなっても何も世の中に影響がないと考えています』ということのようです!

 

Bullshit Jobs ≒ クソくだらなくて意味のない仕事(嘘だらけのくだらない仕事!?)

 

ということだそうです。

 

クソくだらなくて意味のない仕事とは、

 

『本人すら気づいてるほど無意味な仕事。仕事をしていなくても、誰も気づかない仕事。でも、公にはそうは言えない仕事』

 

以前はというか、とくに若い頃は、対価を得るために「くだらない」「意味がない」と思いつつも、確かにやむを得ずそういう仕事をしたことがありました。

 

・誰も目を通さないであろう大企業向けの分厚いコンサルティング資料の作成

 

・ほとんど計画通りに実行できないであろう事業計画書の作成

 

・一見もっともらしく見えるけれど、よく読むと整合性がとれないが企画書の作成

 

・資金繰りをつなぐための開発困難な受託案件の受注etc.

 

数え上げたら切りがありません。

 

 

さらに、上記にも一部含まれていますが、自分が真面目に一所懸命に、社員のために会社のためにと思い込んで社長をしていた頃の自分は、クソくだらなくて意味がないより以下の、会社にとっても社員にとっても害悪になる仕事を、

 

オレがやらなくて誰がやる!?これをやらなければ会社がツブれる!と思い込んで、せっせとやっていたのでした!

 

 

これは質の悪い合法ドラッグみたいなもので、一度やりはじめるとなかなかやめることができなくなってしまいます!

 

マイナスの無限スパイラルをぐるぐる回っているようなものです。

 

自分でもこんなことはいつまでも続かないだろうなぁとか、

 

いつか破綻するときが来るだろうなぁと思っているのですが、やめられない、やめる勇気がなかったのです。

 

つらく苦しい仕事をしつつも、社員や社外の方々の尽力のおかげでなんとかかんとか達成できると、それをさも1人でやったような気持ちになり、一瞬だけ自己肯定感が増したような錯覚におちいり、

 

『自分が重要だという不健全な思い込み。尊大さ、身勝手な野心』※ライアン・ホリデイ著『 エゴを抑える技術 』

 

というような愚かな妄想に、まったく悪気なくはまり込んでしまうのです。

 

そもそもそういうときは、社員や社外の方々や家族でさえ信用できなくなってしまっていたりします!

 

 

 

実は、このあたりが経営も教育も同じだと思っていることです。

 

経営者の端くれとして、経営にとってもっとも大切なのは人だと思います!

 

教育にとっても、もっとも大切なのは人だと思います!

 

 

・人を信用して、信頼して、信じて、まかせきること。

 

・肯定し続けること。

 

・エゴの恐ろしさを伝えること。

 

・アドバイスを求められた場合には、どうしたら望む状況になりやすいのか?という視点でアドバイスをするが、判断は本人まかせること。

 

・窮地に追い込まれ、助けを求められた場合には、できるかぎりの援助をし、勇気づけをし続けること。

 

 

とはいえ、人は幸せに生きていくために必要な多くのことを失敗から学びます。

 

こどもの頃や若い頃に身につくたくさんの失敗をしてもらいましょう!

 

 

 

 

今日もここまで読んでくださって本当にありがとうございました。

 

ぼくたち人間にとって今日も失敗を恐れぬ一日でありますように(*゚▽゚*)

 

P.S.

うんちマンにとって『クソくだらない』という表現はかなり気持ち良くありませんが、うんちはそもそもそういう最下層に位置するポジショニングなので、いたしかたないのかもしれませんヽ(´ー`)ノ