「せたコン」や「学び2.0」プロジェクトをはじめているので、友達と家族ぐるみでつきあうことが増えています。
ぼくはこどもを育てた経験がないので、こどもたちの行動や考えていることがとても興味深く思えます。
昨日もシュウちゃんことツリーハウスビルダーの中里修一さんが運営している「埼玉プロバンス」というフィールドに3家族で遊びにいってきました。
こどもがいたり、こどもを育てたことがある親御さんにとっては当然のことかもしれませんが、
まずこどもは明らかにそれぞれまったく違う生き物だということがわかってきました!
大人って個性的だとはいっても、すでに概念が組み上げられてしまっているし、ある程度の共通の常識や概念をもっていると思うのですが(とくに日本人はね)
こどもはまだ概念や常識の獲得段階だったりするのでとても興味深いです。
昨日も友達の子で一番年下の坊やがとってもやんちゃで、
3つ年上の自分のお兄ちゃんや5つも年上の別の友達の坊やたちと遊んでいて、
本人は広い原っぱで自由に走り回ったりできるので、
もう楽しくて有頂天になって満面の笑みを浮かべてニコニコしながら、
大きめの枝でバーンとたたいたり、
相手の目に指をムギューっとさしたりして、
5つも年上の小学生のお兄ちゃんを2度も泣かせてしまいました。
するとお母さんが、坊やを叱って、泣いているお兄ちゃんに謝らせようとさせるのですが、
恐らく坊やは自分が悪いことをしたという自覚があまりないのでしょう。
ニヤニヤしたり、おれ悪くないもん!的な顔になったりして、がんとして謝ろうとしません!
お母さんによると保育園の保母さんからも同じような指摘を受けるそうです。
それでもお母さんも母親としての使命感に燃えて、
お兄ちゃんがどんなに痛かったと思うか、ケガをしたらどうするのか、などと言い含めてなんどもなんども根気強く謝らせようとします。
そうするとやっとものすごーく小さな声で「ご・め・ん・な・さ・い」と1度目は謝りましたが、2度目のときはぼくには聞こえてきませんでした。
坊やのやんちゃぶりは客観的にみても『半端ないって』感じなので、
これはこれでお母さんも一所懸命に考えて、相手の坊やへの悪かったという思いと、自分の息子の将来を鑑みての愛ある判断だったと思います。
こういうときにどうするとよりいっそう愛ある対応になるのか?
そこで思い出したのが、先日母のテコちゃんと自分とのコミュニケーションのことをブログに書いたときに、リスペクトする安藤さんの『愛は観察』というコメントと、愛ある真摯な教育者だと思っている新倉さんの『学んだことをベースに正しく考える』ということが、年齢の大幅な違いや親子関係の逆転などはありますが、親子のコミュニケーションには変わりはなく、同じく『愛は観察』なのだろうと思いました。
つまり、問題を起こしてしまったこども達と対応する自分自身含めて観察をして、
どうしたら相手のお子さんや親御さんに謝意があらわすことができて、自分のこどもや自分自身もいま起きていることから学べるのか!?などを「愛のある視点で観察」をして、
自分の過去の経験から正しく考えれば、自ずと答えは導きだされるのではないかと僭越ながら思いました。
実はこれはどのような人間関係にも通底することだと思います!
こういうことを考えたり気づいたりできるのも、多様な年齢や考え方の人とコミュニケーションができるからだと思います。
今日もここまで読んでくださって本当にありがとうございました。
ぼくたち多様な人にとって今日もたくさんの気づきと学びがありますように(*゚▽゚*)