因果はめぐるのだろう。

自分が人にしたことが、巡り巡って自分に返ってくるということは、本当なのだろうと思います。

 

因果とは原因があれば結果があるということです。

 

それは、自分が良かれと思ってやろうが、なにげない気持ちでやろうが、申し訳ないけど許してと思いながらやろうが、ちょっとズルかったり意地悪な気持ちでやろうとかに関係なく、自分の言動が、相手やまわりにどう伝わったか、ということが見えない波紋のように広がり、大きく影響するのだろうと思います。

 

昨日、そう思う、とてもありがたいことと、あまりありがたくないと思うことがありました。

 

 

いまはもう自分の会社に自分のデスクはないのですが、十数年くらい前からまだ自分のデスクが会社にあった数年前まで目の前のパーティションにこの格言を貼っていました。

 

「我が気に入らぬことが、我ためになるものなり」

 

これは鍋島直茂という戦国時代から江戸時代初期の武将で、佐賀藩の藩祖だった方の言葉だということです。

 

一般的には以下のような解釈らしいのですが、

 

「自分の欠点を指摘されるのは気に入らないが、気を鎮めてきけば自分のためになることばかりである」

 

ぼくは、人からの苦言のみならず、自分の身に降りかかる気に入らないことすべてが、自分のためになるのだろうと思っています。

 

それは、自分の身に覚えのない自然災害や事故、事件なども含めて自分のためになるのだろうと考えています。

 

とはいえ、

 

それはポジティブシンキングとかプラス思考というよりも、自分の顕在意識下で感じる善し悪しとかに関係なく、ものごとをそのまんま受け入れられる人でありたいとか、なりたいという願望のようなものかもしれません。

 

 

ところが、実はそれをもっとも受け入れがたいと思うのは、肉親や親密な間柄での内面的な思いのスレ違いや、掛け違いだったりすることが多いように思います。

 

そこには精神的および物理的にも相互依存もしくは、いずれか一方が相互依存から抜け出したいと思っていたり、一般的にはクリアになったように見えても利害関係の拭いきれない心のミゾを片方が忘れてしまっていても、相手方には根深く残っている、そういうことが多いのだと思います。

 

どんなものごともそのまんま受け入れられるようなるには、まだまだ遙か遠いと思いますが、

 

気に入らないことも受け入れられる自分になりたいと思う毎日であります。

 

 

 

関東地方は昨日梅雨に入ったようですが、今日は晴れるみたいです。

今日もここまで読んでくださって本当にありがとうございました。