いろんな人がいることの大切さ

うんちマンはダイバーシティ(多様性)が大切だとかなんとか言ってますが、

 

同じような考えや、タイプや、人種や、言語や、性別や、性に対する感じ方や考え方、体の状態や具合、心の状態etc.の人たちが集まっていた方が、きっと面倒じゃなくて楽ちんだと思います。

 

いろんな人がいたら、やっぱりそれぞれに合わせるのに疲れたり、大変だったり、コストがかかったり、時間がかかったりしますよねヽ(´ー`)ノ

 

 

 

ぼくは高校が男子校だったので、入学してすぐは、これはこれで女子がいないからエロい話しもし放題だし、すぐにちんちんとか見せるヤツはいるし、変にかっこつけなくても良いし、あんがい楽ちんだなヽ(´ー`)ノって思いました。

 

とはいえ、やはり、女子がいない学校はなにか味気なく、わくわくしないなぁと思っていました。

 

同じ敷地に共学の大学もあってきれいな女子大生お姉さんたちを見て見ぬフリしながらも(^0^;)、

 

高校と大学の交流会などもなかったので女子と知り合う機会さえほとんどありませんでした。

 

 

 

ところが、2年の夏休みに美大予備校の夏期講習会に行ったら、

 

私立の女子校の女子がわんさか来ていて、

 

超腸兆メチャクチャ楽しかったので、

 

目の前にひらけたあまりにもキラキラした世界に感動して、

 

それ以降2年の2学期から、

 

どうしても美大に行きたくなったと親にウソをついて高校が終わると、

 

場合によっては終わる前でも、

 

脇目も振らずに直行で予備校に行く生活をすることにしました!

 

 

 

つまりときには高校の授業をサボってまでも予備校に行くようになったりしたのですが、

 

そうすると、そこには「ザ・浪人生!」という人たちもいたのでした!

 

1浪はあたりまえで、2浪、3浪、4浪という強者までいたのです。

 

 

当時のぼくから見ると絵はとくにデッサンなどはもう神がかり的にすごく旨く見えるのですが、

 

なぜか予備校の講師たちからの評価は高くありません。

 

 

あとでわかったのですが、

 

浪人生たちのとくに3浪とか4浪の人たちのデッサンは、

 

慣れでそれなりに旨そうに描いているけれど、魅力がないのだということでした。

 

つまり、観光地のお土産屋さんで売っている風景画みたいなクオリティなのだということでした。

 

 

浪人生の人たちは、高校生のぼくから見るとはるかに大人っぽくて、やさしい感じの人たちが多いように感じましたが、なにか人生の悲哀みたいなものをはじめて身近に感じたのを覚えています。

 

 

 

昨晩は京大熊野寮の食堂の一角にある交流スペースみたいなところに泊まらせてもらいました。

 

そこには大きなスクリーンとプロジェクターがあって、アニメや映画を見たり、ポーカーをしたり、ゲームをしたり、お酒を飲んだりして、学生たちの交流の場になっています。

 

昨晩はこの土日の「くまのまつり」の準備をしている学生がいたり、映画を見たりしている中で、ぼくはビールをあおって寝てしまい、目覚めると2時過ぎで、みんなそろそろ眠たーいみたいな感じでしたが、

 

一番仲良くしてもらっているヨースケという学生と日頃考えていることやお互いにしたいと思っていることなどの話しに花が咲き、

 

4時半頃まで話しが出来てとても充実した時間を過ごすことができました。

 

 

社会人になって、しかも結構な大人になってから、学生と同じ目線でこんな話しなんてなかなかできないでしょヽ(´ー`)ノ

 

いろんな人がいて、仲良くしたり、たまにはケンカしたりすることもあったりしながら、

 

問題があるのは当たり前だよねって感じで、自由に生きていくことの素晴らしさに触れる毎日でありたいと思っています。

 

 

 

今日もここまで読んでくださって本当にありがとうございました。

ぼくたちにとって今日もたくさん魅力的なことがありますように(*゚▽゚*)