ぼくは“信じる”ことが一番大切だと思うという話しをよくします。
自分を信じられれば、人も信じられると思います。
人を信じるには、自分を信じられる必要があります。
人を信じるということは、どこまでも信じるということです。
たとえ、信じた人にどんな目にあわされようと許し、信じ続けるということです。
いわゆる一般的にリーダーと呼ばれる人。
親、会社や組織のトップ、学校やなにかを教える先生、人の上に立つ人にはとくに大切だと思います。
ぼくは長年27年くらい社長業をやってきましたが、
はじめてから2/3くらいまでは人を信じることができませんでした。
なので人を許すこともできませんでした。
こういうことをぼくのようなうんちをかぶった凡人が真面目に考えて取り組みすぎると、なんというか深みにハマりすぎてヤバイ雰囲気になり、ヤバイ高額の自己啓発セミナーとかにかよったり、逆に開催してしまう危険性さえあります。
そこで、やはり敬愛するみうらじゅん大先生的な面白がり方があった方が健全な気がします!
ぼくは以前、自分があまりに否定的だったので『NOからの解放ゲーム!』という、自分が否定的なことを言ったら教えてね!お礼にもれなく1000円払います。教えてくれたことを「それ否定じゃねぇよ!」と否定したら、さらに1000円払わなければならないというルールのゲームを会社、家族、友達などと一緒に1年くらいプレイして、数十万円払いました。
これは人に自分の否定を教えてもらったのに、ぼくがくやしがって『えっ、これも否定なの!?超くやしー!』などと言っていると、
『またそれも否定でしょ!?』と指摘されて、しぶしぶ1000円払ったりするぼくをみて、自然と笑いがこみ上げてくるという否定をコミカルに解決するというゲームでしたが、
図らずも、大変せんえつながら、みうらじゅん大先生の発想とちょっと似ているところがあると思っています。
ぼくたち日本人って、というか日本人だけじゃないのかもしれませんが、なんだか超真剣に大上段に真面目にものごとに取り組みすぎて深刻になって挫折する的なところがあるんじゃないかと思っています。
みうらじゅん大先生は『世間でマイナスとされていることを「ポップ」に見せることを意図してやってきている』とおっしゃって、
『失恋プレイ』
『親孝行プレイ』
などとおっしゃっていますが、
ぼくは一応ゲーム会社をやっていることもあり、「人生ゲームだぜ!」ということで、なんでもゲームとかごっこ化してしまうということをオススメしたいと思います!
自分やそれを一緒にプレイしてもらう人も一緒にゲームのルールを作って、実生活の中でそのゲームをプレイしてみれば
、一般的に言われる
“努力”、“根性”、“信念”のようなことも面白がりながらできると思うのです。
なので、信じる、許すを実現するには、あんがい“面白がる”ことも大切なのだと思っています。
さらに、なんといってもこの世は考えているだけじゃなくて、行動することがもっとも大切だからなのです。
今日もここまで読んでくださって、ホントありがとうございました。
面白がりは、きっとぼくたちの人生を豊かにしてくれると思います!