悲しみは感謝の気持ちに変えられるか…

「うんちマン」になるとマインドフルでいられる。とか、「UN理論」で常識や限界から解放されよう。とか、「NOからの解放ゲーム!」で、肯定的な人間になろう!などと人様に申し上げつつも、毎日のように、いたしかたない、わるぎない、キャンセルのご連絡をいただくと、グサッグサッととても悲しい気持ちになってしまううんちマンです。そんな中、悲しみは感謝の気持ちに変えられることもわかってきました。

 

『参加しようと思っていたのですが…×××』というメッセージを読んだり、声をきいたりすると、ぼくは雑念のドーナッツ(4大雑念である「過去への後悔」、「未来への不安」、「他人への不満」、「自分への嫌悪」でできた心のジャンクフード)をむさぼり食べてしまい、ドーナッツの真ん中にある “空” が見えなくなってしまいます。

 

つまり「一喜一憂」してしまいます。数分から長いと数十分間くらいは、雑念に捕らわれて、ポジティブな思考が停止してしまいます。

 

そんな中、偶然にも親鸞(しんらん)のことを知りました。親鸞は何十年も修行をしてきたのにもかかわらず、弟子の唯円(ゆいえん)から自分は悟れないのだけどどうしたらいいだろう!?的な悩み相談を受けると、自分も同じである。苦悩に満ちたこの迷いの世界は捨てがたく、自分も心なやます“煩悩”から逃れられてはいないと話したそうです。

 

遅ればせながら親鸞のことを知って、自分も少し救われたような気がしました。仮に「煩悩」≒「雑念のドーナッツ」だとしたら、親鸞のような修行を何十年も続けたお坊さんの存在が急に親近感に変わり、安堵の気持ちがおとずれました。

 

残念ながら参加出来なくなってしまった方の無念な気持ちをおもんばかり、いま参加をしたがってくださっている熱心な方への感謝の気持ちがよりいっそうわいてきて、熱心に参加したがってくださっている車イスや身体に障害がある方々に対して、自分がもっとできることがないだろうか!?と考えることができるようになってきました。

 

また、キャンセルの連絡があれば落ち込むのですが、もうそれは煩悩なのだから仕方ないし、すぐに思い直せばいいのだと思えるようになってきました。さらに、こういうときこそヨガや瞑想、呼吸が大切なので、しっかりと行うようにしています。

 

とにかく、いま自分ができることをしっかりとしていこう!感謝と勇気を大切に創意工夫していこう!と思います!

 

 

今日もここまで読んでくださって本当にありがとうございました。

みなさんもぼくもいろいろあると思いますが、いまに感謝して今日も精一杯生きていきたいですね!

 

P.S.

多くのみなさんにご心配いただき、とてもありがたかった奥さんのひだまりについて中間のご報告です。昨日MRI検査の結果がでました!脳も血管にも異常はなかったようなのですが「大脳白質軽度慢性虚血性変化」という、これは病気ではなく、自然に老化で起きるらしいけれど、年齢にしては多く、糖尿、喫煙経験もないのに、何故!?ということで、さらなる検査を継続することになったのであります。まだ最終結論はでていないのですが、急を要することはないようです。