幸せとは“うっかり”なってしまうものではないか!?
という仮説を立ててみた!
彼が“うっかり”しているかどうかは別として
この写真の幸せそうな人物は、
友達のツリーハウスビルダー界のトトロこと中里 修一さんであります!
木の上に家を作って
ほら!ぼくがのっても壊れないでしょ!?
というとても分かりやすい
ステキな仕事の仕方をしています。
ちゃんと仕事の依頼があって
お仕事をして
お金を稼いで
パーマカルチャーを勉強したり
ときどき勉強のために
海外に行ったりもしていて
実現したい夢もあり
ぼくから見ても
とても素敵な生き方をしていると思います。
今流行りの不幸せな人たち!?
不幸せだという思い込みの強い人たち
もしくは不幸せだとも
気づいていない人たち
というのは
まじめというか!?
心配性というか!?
以前、雑念のドーナッツ
という例えを書きました。
人という存在は
「過去の後悔」
「未来の不安」
「他人への不満」
「自己への嫌悪」
という雑念のドーナッツに
四方を囲まれていて
美味しくもない雑念のドーナッツを
ジャンクフードのように
貪り続けていると
雑念に囲まれていることにも気付けず
ドーナッツの真ん中に
素敵な“空”があること
“空”があるからこそ
ドーナッツなのだ!
ということに
気がつけないという概念です。
ドーナッツを人に例えると
“空”を含めて本来の自分なのに
“空”に気づけないので
自分を見失っている
ということですね。
知っているつもり
になっている
自分から見た
世間や会社、学校の常識
『○○であるべき!』
『〇〇でなければならない!』
というか
自分がもっている
くもったレンズを通してしか
ものごとを見ようとしないので
雑念的にしか見えない情報
に囲まれて生きている。
という感じだと思います。
そのくもったレンズから見た世界を
正しいと信じ
仮に信じられなくなってきたとしても
あいにく
“うっかり”していないので
他の世界が見えにくいのです。
これが今流行りの
不幸せな人たちの在り方
なのではないだろうか?
というあくまで仮説です。
偉そうで恐れ入ります。
ぼくも“うっかり”大好きだった
うんちのゲームをつくって
うんちマンになって
国内外を宣伝していたら
“うっかり”いつの間にか
うんちマンとして生きていたのです!
それまでは“うっかり”しているのはいけない!と思っていました。
だから今流行りの不幸せな人たちの仲間だったのだと思います。
「デジタル大辞泉」によると“うっかり”とは
1 ぼんやりして注意が行き届かないさま。「うっかり(と)秘密をしゃべる」「うっかりして大事な物を置き忘れた」
2 心をひかれて他に注意の向かないさま。うっとり。
「うっかり」≒「心をひかれて他に注意の向かないさま」
ということで、
心ひかれてしまい
他のことに注意が向かないくらい
好きなことを見つけて
“うっかり”その世界にのめり込んでしまえば
いつの間にか
幸せになっているのではなかろうか…。
そう言われても
『なにが好きなのかがもはやわからない…』
という人は少なからずいます。
ぼくにもそういう時期はありました!
最後に宣伝のようになってしまいましたが
そういう方はコチラへどうぞ↓↓↓
自分は「今流行りの不幸せな人」なんかじゃないけど
今日のブログを読んでいてモヤモヤしているという方は
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なにかをはじめるのは
いくつからでも遅くはありませんヽ(´ー`)ノ
今日もここまで読んでくださってありがとうございました。
今日も“うっかり”生きていきたいものですねヽ(´ー`)ノ