湯川鶴章とハロウィンとうんちマン、その弐

前回のブログでは、

親友のITジャーナリスト湯川鶴章が「ダイバーシティーな幸せのハロウィン1000人フラッシュモブ!」を人には勧め、

応援してくれているにもかかわらず、

本人は『オレは絶対に参加しない!けどね(笑)』と語るのはなぜか!?

ということで、直接本人にその真意をきいてみた。

今日はその後編です。

 

 

真摯にいろいろと話をしてみて湯川本人がわかった!と言ったことは、

それは自分の中に“浄化されない闇”があるからだろう、ということだった。

 湯川は19歳のときにアメリカに渡って大学を卒業し、

それ以来25年ほどアメリカに在住し、

時事通信という日本の通信社で記者として働いていた。

 

10代から20代にかけては、

自分は優れているのに体制側の人たちは、

誰も自分をわかってくれないという思いがとても強かったと、

同質化を強要するイメージの体制側に対してとても強い怒りや憤りがあり、

その怒りが記事を書かせていたのだろうとも言っていた。

 

「幸せのハロウィン1000人フラッシュモブ!」に、

参加したくないという根底にある感情は、

自分でも気づいていなかった同質化される体制に巻き込まれたくないという、

“浄化されない闇”が想起されるからだろうということだった。

 

少しまとめてみると、つまり、うんちヒューマンという存在自体が、

湯川が本人が考えたことではないし、

人が考えたうんちヒューマンの同じコスチュームを着て、

大勢で渋谷の街を歩くということが、

湯川の心の闇である体制に対する怒りや憤りに、

自分がのみ込まれてアイデンティティを失うような気がするのではないかと思うのであった。

 

 

昨年の「ハロウィン100人フラッシュモブ!」に参加した湯川塾の友達はこんな感想をくれた。

『アイデンティティが剥ぎ取られる、みな同化して溶けだす様な体験。不思議でした。』

 

つまりこれこそが、ダイバーシティ(多様で個性的)な人たちがこの日だけはインクルージョン(一体となる)するってことなんだと思っている。

 

さらには、これって元々こんなことを始めたうんちマンである自分自身の度量というか在り方というか、

そんなものを試されている。問われている。ことにもなると思っていて、

それがまた自分自身スリリングでドキドキするところなんだろうと思う。

 

ぼくは外見も内面もダイバーシティで千差万別でOK!という世の中が大好きだ!

人間は本当は一人のミトコンドリアイブから生まれた仲間だ!ということを実感することも大好きだ!

 

街でときどき就活の学生を見ると、

なぜ彼らは決められてもいないのに黒のスーツしか着ないのだろうと思う。

企業からそれが求められているのだろうか?

それとも暗黙の自主規制なのだろうか?

就活マニュアル本に書いてあるのだろうか?

と不思議に思うことも少なくないうんちマンである。

 

オープンで優しくありたいとは思っていても、

なにが正解でなにが間違いということもとくになく、

究極人間は「自分を生きる」ことが素晴らしいと思っています。 

 

「ダイバーシティーな幸せのハロウィン1000人フラッシュモブ!」への参加を考えることが、

「自分を生きる」ことにもつながるのだとしたら、

そういう役立ち方もあっていいのかもしれないと思ったのでした。

 

とまあいろいろ書きましたが、

「ダイバーシティーな幸せのハロウィン1000人フラッシュモブ!byうんちヒューマン」は

とにかく理屈抜きで普通に生きているだけでは体験できない、

「究極に楽しい体験ができます!」

だから多くのみなさんに参加して欲しい!

本当はそれだけなんだ!

湯川のつるちゃんも理屈抜きでストレートに言ってくれた方が自分も納得しやすいと言っていた!

…で、それを感じてもらいたいので最後にこの動画をどうぞ~(^▽^)/~

今日も最後まで読んでくださって、どうもありがとうございました。

今日からの1週間をより自分らしく生きられますように(^ー^)v